■新河岸川舟運(2006年9月)
江戸時代後半から大正期にかけての志木は、商業の町として今日では想像もできないほどに繁栄を極めた。その最大の要因は、江戸と川越方面との‥ →続きはこちら
■野火止用水と志木(2007年3月)
昭和40年まで、志木市本町1〜2丁目付近を通る市場通りの中央には、野火止用水が流れていました。 野火止用水は、川越藩主で幕府の‥ →続きはこちら
■志木市内の野火止用水分水路跡(2008年12月)
野火止用水が志木を流れていたことは良く知られていますが、水路が暗渠化され雨水下水路となってから既に40年以上も経ち、実際に見‥ →続きはこちら
■志木のシンボル「いろは樋」(2009年9月)
「いろは遊学館」「いろは橋」「いろは商店街」と、志木市には「いろは」を冠した施設や場所がいくつも‥ →続きはこちら
■新河岸川のあらまし(1999年5月)
新河岸川流域は、青梅から東京都心部に至る武蔵野台地のおおむね北半分を占め、川越の旧市街地を北の頂点とする三角形を‥ →続きはこちら
href="tudura/syuun/singasi07-6/singasi-kaisyu.html">■新河岸川の改修工事(2007年6月)
熊谷から下流の荒川が現在のような流路になったのは、1629〜34(寛永6〜11)年に行われた瀬替え‥ →続きはこちら
■〈続〉新河岸川の改修工事(2007年12月)
国の直轄工事として、当時の荒川への合流点(朝霞・和光の境界)から下流に新河岸川新川を開削し北区岩淵で隅田川‥ →続きはこちら
|