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舟運の記憶エリア

 

舟運で栄えた町屋の面影が魅力
●寛永15(1638)年の川 越大火で消失した仙波東照宮などを復旧するため、川越と江戸を結ぶ新河岸川(しんがしがわ)舟運が本格的に始まり、志木にも大きな河岸場がありました。
●引又河岸(明治7年以降は志木河岸)はその商域の広さと扱う物資の量で群を抜いており、舟運が鉄道輸送に代わるまでの約300年にわたり繁栄しました。
●そんな舟運で栄えた町の様子や、承応4(1655)年に完成した野火止用水跡など、今でもその面影を伝える文化財が多数存在します。

 
 
 

舟新河岸川舟運(2006年9月)
江戸時代後半から大正期にかけての志木は、商業の町として今日では想像もできないほどに繁栄を極めた。その最大の要因は、江戸と川越方面との‥ →続きはこちら


野火止用水野火止用水と志木(2007年3月)
昭和40年まで、志木市本町1〜2丁目付近を通る市場通りの中央には、野火止用水が流れていました。 野火止用水は、川越藩主で幕府の‥ →続きはこちら


野火止用水跡志木市内の野火止用水分水路跡(2008年12月)
野火止用水が志木を流れていたことは良く知られていますが、水路が暗渠化され雨水下水路となってから既に40年以上も経ち、実際に見‥ →続きはこちら


江戸名所図絵志木のシンボル「いろは樋」(2009年9月)
 「いろは遊学館」「いろは橋」「いろは商店街」と、志木市には「いろは」を冠した施設や場所がいくつも‥ →続きはこちら


新河岸川新河岸川のあらまし(1999年5月)
新河岸川流域は、青梅から東京都心部に至る武蔵野台地のおおむね北半分を占め、川越の旧市街地を北の頂点とする三角形を‥ →続きはこちら


href="tudura/syuun/singasi07-6/singasi-kaisyu.html">新河岸川新河岸川の改修工事(2007年6月)
熊谷から下流の荒川が現在のような流路になったのは、1629〜34(寛永6〜11)年に行われた瀬替え‥ →続きはこちら


新河岸川〈続〉新河岸川の改修工事(2007年12月)
国の直轄工事として、当時の荒川への合流点(朝霞・和光の境界)から下流に新河岸川新川を開削し北区岩淵で隅田川‥ →続きはこちら


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