野火止用水が志木を流れていたことは良く知られていますが、水路が暗渠化され雨水下水路となってから既に40年以上も経ち、実際に見たことのある市民は少ないようです。筆者も志木に住むようになってまだ28年ですから見たことはありません。また、市内にはいくつもの分水路があったこともあまり知られていないようです。
今回は、志木の街の中に人知れず残る野火止用水の痕跡を紹介します。
志木市内への入り口は3ヶ所に分けられます。
【1】西側の志木大通り(防衛道路)付近の新座・志木境界から入るルート
【2】東側の慶應志木高校内のルート
【3】中央の志木駅南口柳瀬川よりの交差点から入るルート。入り口で本流と西側への分水に分かれます。
1.西側の新座・志木境界から入るルート
西側の分水は新座市北野の立教大学西側地域を流れた後、志木大通り(防衛道路)付近から新座・志木境界の小規模な谷津を柳瀬川方面の低地に向かい流れていました。
この分水では志木大通り南側の水路敷き、北側の市境の谷に名残りが見られます。
幸町1-16 の水路跡(地図ポイント1)
2.東側の慶應志木高校内のルート
東側ルートは新座・朝霞境界沿いの朝霞側を流れてきた水路が慶應通り陸橋の朝霞側地下道の位置で線路をくぐり、慶應高校構内を経て、朝霞・志木境界の谷津地の朝霞側斜面の中腹を新河岸川に向かっていましたが、途中で分かれた分水は朝霞の宮戸方面にも向かっていました。
慶應高校の構内には素掘りの水路が森の中に残っており、その先はけいおうふれあいの森に沿った歩行者道、その先は片側の歩道に名残りを残し、朝霞側の斜面には水路敷きが長く続いています。
慶應高校構内素掘り水路(地図ポイント2)
本町4-8 左側歩道が水路跡(地図ポイント3)
3.中央の志木駅南口交差点から入るルート
本流は、旧奥州街道に沿って市場地区に至り、いろは樋で新河岸川と交差し、宗岡に入った後もいろは通りに沿ってあきはね通りまで流れ、左右に分かれていました。
旧奥州街道に沿った部分は片側歩道の位置に名残りが残ります。宗岡では排水路に蓋掛けした歩道になっています。
本町6-12 左側歩道が水路跡(地図ポイント4)
中宗岡1-5 左側歩道が水路跡(地図ポイント5)
本流から西側に分かれた分水は直ぐに二本に分かれ、直進する流れは愛宕通りを西に進み、志木大通り交差点(大塚建材)を過ぎた所で二手に分かれ、いずれも柳瀬川方向の低地へ向かって流れていました。
幸町1-4 水路跡(地図ポイント6)
愛宕通りから右へ分かれた分水は線路を越え、柏町の中道を進み、氷川神社裏手から低地に向かって流れていました。
本町6-25 右側歩道が水路跡(地図ポイント7)
柏町3-5 氷川神社裏手の水路(地図ポイント8)
中道の片側歩道や氷川神社・第二福祉センター裏、住宅地内の排水路等に名残りを残しています。
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