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宗岡の水塚群エリア

 
 

水塚・堤防・樋門など見どころたっぷり
●宗岡(むねおか)という地名が文献に現われるのは、室町中期の寛正4(1463)年。
●古くから栄えた宗岡地区は、荒川と新河岸川にはさまれた荒川低地に位置し、「母なる川」の恵みを得るとともに「荒らぶる川」の水害常襲地でもありました。
●そんな宗岡地区には、水との知恵比べで生まれた豊かな文化遺産が多数残されています。

 
 
 
 
 

水塚宗岡の水塚(みづか)群(2005年12月)
「土盛りの土は、畑の土の30cmほど下のクロマサという黒い硬い土を掘ってモッコに入れて担ぎ上げたと聞いた‥ →続きはこちら


水塚宗岡地区の水塚と総囲堤
志木市宗岡地区は、標高5〜6メートルの沖積低地にあります。荒川と新河岸川にはさまれ、洪水が運ぶ肥えた土の‥ →続きはこちら


樋門宗岡に残る明治期の樋門群(2006年3月)
柳瀬川でも新河岸川でも、堤防のところどころに、内水を流しだす水路が貫通 しています。樋門又は樋管と呼ばれ‥ →続きはこちら


横堤荒川の横堤(よこてい)(2009年12月)
羽根倉橋と秋ヶ瀬橋の間の荒川堤外(荒川堤防の川側)、水田やグランドが広がる広い河川敷の‥ →続きはこちら


取水堰荒川の秋ヶ瀬取水堰(2008年9月)
今から350年程前の1653(承応2)年、江戸の飲料水不足を解決するため、羽村で多摩川を堰止め江戸‥ →続きはこちら


水害の被害図明治43年の水害(2007年9月)
「志木のイメージとして『川のまち志木』がふさわしいと思う人、いらっしゃいますか?」先日、志木市の歴史と自然に‥ →続きはこちら


勝手にレッドデータof志木→ 佃堤(つくだづつみ)


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