宗岡地区の水塚と総囲提

志木市宗岡地区は、標高5〜6メートルの沖積低地にあります。
荒川と新河岸川にはさまれ、洪水が運ぶ肥えた土のおかげで良好な農地であった反面 、
水害との闘いの絶えない地でもありました。
記録によると、
江戸時代ころの310年間に32回、明治以降も約10年に1回水害がおこっています。
この頻繁な水害に備えて、宗岡地区では昔から様々な工夫をしてきました。

水塚(みづか)

屋敷の一部に、盛り土で1m程高くした水塚を築き、その上に避難生活用の蔵を建てて水害に備えていました。
志木市教育委員会発行の「水害と志木」(1988年)の報告では63基の水塚が記録されています。現在もそれに近い数が残っており、昔の人の知恵を今に伝えています。

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避難用の舟

今でも納屋の軒先につるされているお宅がありました。

佃堤(つくだづつみ)

江戸時代に村全体を堤防で囲む総囲提を完成させました。佃堤はその堤防の一部。他の堤防も、道路などとしてその痕跡が今も残っており、往時を偲ぶことができます。

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