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わたしの残したい志木の風景

絵・文 松本恭子

300年の歴史「佃堤」

 

 新河岸川にかかる袋橋を渡り、氷川神社・千光寺前を通 りぬけると土が一段高く盛り上がった一帯があり、一面に田が拡がる。荒川と新河岸川に囲まれたこの宗岡地区は、古来より水害に悩まされ続け、そのたび重なる災害のすさまじさは測り知れないほどの規模であったと郷土史は伝えている。

 これをを防ぐために、宗岡村全体を囲む堤が江戸時代に築かれたが、佃堤は南畑村(現富士見市)との境であったため、水害を被るたびに紛争が起こり、流血の惨事に至ることもたびたびあったという。両村の歴史は水難の歴史以外のなにものでもなかったように思われる、と結ばれている。

 早春のやわらかな風に吹かれて堤の上を歩いてみる。永きにわたる紛争のあった場所だなんて、想像もつかない。近くの中学校に通 う女の子が数人おしゃべりをしながら傍らを通り過ぎて行く。一面に稲穂が育つ頃、ここからの眺めはすばらしいだろう。ウラシマソウやヒガンバナも咲くという。

 治水工事の発達や耕地整理などによって村全体を囲んでいた堤の大部分はなくなり、現存するこの佃堤だけだがその300年の歴史を今に伝えている。

(エコシティ志木通信第10号 1998年2月)

 

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