このような河童の伝説は日本のいたるところに存在し、河童は日本人の誰もが知っている。サンタクロースと同じように「小学生の頃までは本当にいると思っていた」という人も知っている。なかでも特に岩手県遠野市にまつわる河童が有名だが、はたして遠野の河童が有名になったのも前述の柳田国男の『遠野物語』によるところが大きい。
やはり『遠野物語』に触発されて河童を研究し、河童村の村長にもなった大野芳氏はその著書『河童よ、きみは誰なのだ』の中で河童の由来を深く探っている。
驚くのは、河童に会ったという人を取材したり、河童の子どもを産んだという逸話を紹介したり、河童は単なる想像上の生き物ではなく、その存在は日本人の根幹にある何かと関連していることを示唆してショッキングでさえある。
河童の伝説は日本全国にあるが、呼び方も様々ある。それは、エンコ、カーカンバ、ガタロー、カワウソ、カワコゾー、カワソ、カワッパ、スイジン、カッパと非常に多い。カッパを意味すると思われる「河伯」は養老4年(720)成立の『日本書紀』に登場するという。そして「河童」という文字の初出は室町時代の『下学集』(1584年成立)であり、カッパという読み方が定着したのは近世になってかららしいので、思ったより新しい。
河童の姿というと、頭に皿があり、背中には亀のような甲羅がある。そして手足に水かき、口が少しとんがり、緑色の体、というのが私のイメージだ。
だが、『河童よ、〜』によると、むかし目撃した(!)人によると「身長はおよそ60cmぐらいで、耳は見えず、黒豆のような目が正面を向いて二つ並んでいる。手をだらりと前に垂らして立ち上がったとき、白っぽい腹部の毛が見えた。胸のあたりに赤みをおびた毛が生えていて、首からショ−ルをかけたようにきわだっていた」とのこと。遠野の河童は赤いのである。
河童が、いま私たちがイメージするような形として定着したのもかなり新しいことのようである。
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