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わたしの残したい志木の風景

絵・文 松本恭子

柳瀬川の水鳥

 

 今年初めての雪景色となった2月の柳瀬川が、毎年遠く北の国から渡来する水鳥でにぎやかです。1月に入っても肌をさすような寒い日がないまま、今年も暖冬のようで、ここにくる水鳥も年々減少の傾向にあるようです。

 ヒドリガモ、オナガガモ、コガモ、マガモと一口にガンカモ科の仲間といっても、種類・雄雌・年齢による体形の違い、それとやはり個々の持つ性格の違いもありそうで、眺めていると実に楽しいものです。

 この流域で野鳥の生態系保護の立場から長年、ガンカモ科鳥類生息調査を続けていらっしゃる毛利さんは、「専門家ではありませんので体験上ということで」と前置きされて、私の質間に応えてくださいました。

松本:この冬、群の渡来はいつ頃からですか?

毛利:柳瀬川に立ち寄って次の越冬地へ向かうものもいたり、種類によって時期がずれていたりでまちまちです。大体、コガモ、ヒドリガモ、オナガガモの順で渡ってくるようです。昨冬は8月にコガモが2羽渡ってきていました。今冬は10月10日に初めて見ました。(実際にはもっと早くきていると思います)

松本:一つの群の規模はどの位いるのですか?(リーダー格っているの)

毛利:コガモは3〜10羽、ヒドリガモは40羽位 の群で餌を採っています。リーダーはいないようです。誰かが飛ぶと一斉に飛び立ったり、移動を始めたりします。ただ、採餌中に見張り役のカモはいます。

松本:移動(渡来、帰航)を決定する目安は?

毛利:渡来も帰航も三々五々という感じでバラバラと移動して、次第に増えたり減ったりしていきます。4月の終わり頃まで残っているのもいます。途中、東北・北海道など立ち寄りながら、シベリア・カムチャツカ半島などへ渡ります。

松本:柳瀬川が餌場として適している理由は?

毛利:@餌場となる水田が周辺にある。A川にアシなどの水草が生えており、隠れる所がある。という2点だと思いますが、周辺の水田は減っており、また川も護岸され中州に茂っていた芦原もなくなって、越冬場所としての魅力は減ってきていると思います。

松本:寿命は?

毛利:野生状態で10年位だと思います。クビワキンクロというめずらしい種類のカモが1羽、上野不忍の池に毎年来ていましたが、7年位 でこなくなりました。趾輪をつけて調査したヒドリガモでは15年5ヶ月という記録(山階鳥類研究所調べ:栗林菊夫さんより)があります。大型の鳥ほど長生きするようです。

松本:繁殖の時期・場所・形態は?

毛利:繁殖の時期は夏、シベリア、カムチャツカ半島のツンドラ地帯です。氷が解けて土が苔や地衣類で覆われ、蚊などの昆虫が大発生する頃に卵を生んで育てます。一夫一婦ですが毎年相手は変わります。夏は雄も雌も同じ地味な羽色ですが、繁殖を終えて南に渡ってくると雄はきれいな特徴的な羽色になり(これを婚姻色といいますが)、雌の前でダンスを披露して婚約します。2〜3月の暖かい日には、1羽の雌を囲んで5〜6羽の雄がぐるぐる回りながら求愛ダンスをする光景が見られます。だいたいのカモがカップルになって繁殖地へと渡っていきます。繁殖地に着いてから巣作りし、交尾し、繁殖します。

松本:毛利さんの野鳥との出会いはいつ頃から、どこで、何がきっかけで、そして特に好きな鳥は?

毛利:広島の山村に生まれ育ったので、スズメ・メジロ・ヤマドリ・カッコウ・キツツキ・フクロウなどたくさんいました。しかし、見つけると獲ってやろうと追いかけていたので、いつも逃げられている遠い存在でした。
 就職のため上京し都内に住むようになった時、密集した人家のすぐ近くを、大きな声で鳴きながら群をなして木から木へと移動する鳥を見てびっくりしました。生まれて初めて見る鳥で、また生まれて初めて見る光景でした。それはオナガという鳥でした。これがきっかけで鳥を積極的に見るようになり、日本野鳥の会に入りました。20年ほど前です。
 どちらかというと、ヤマガラ・キクイタダキなどの林の鳥が好きです。フクロウは特に中学生の頃から好きです。飛び去る時の姿は見ているのですが、まだじっくりと対面 したことがないので是非会ってみたいと思っています。

松本:柳瀬川の近年の大きな変化、危倶する点、私たちできることは?

毛利:柳瀬川に通い始めた1984年頃から較ベると数は半分くらいになっていると思います。特に種類数が減っているのが残念です。川の中のアシが生えている場所や隠れ場がなくなってきたことを含め、環境が単一になってきたのが原因だと思います。
 人のアプローチの仕方も、「環境を整えていく」という方向にシフトしながら、例えば特定の場所を水鳥のサンクチュアリ(聖域)としての位 置づけ、整備をするなどすればもっともっと良くなるような気がします。
 いろいろな種類の鳥がいるということは、多様な生態系、日本固有の遺伝子の歴史が壊されずにあるということです。是非そういう状態を子どもたちに体験させてやり、脳裡に止めておいてやりたいと願っています。そういう意味で、昨年の夏の夜、もういないと思っていたヒクイナの声を聞いた時は感動しました。環境の変化に順応できない種ほどその存在は貴重なものだといえます。今、柳瀬川の水鳥の案内リーフレットや絵葉書が作れないかと思案しているところです。

 夕日が茜色に西の空を染め、川面に輝きを放ち、山並みが影絵のようにくっきりと縁取られた黄昏の柳瀬川は、息を呑む美しさです。
 春の訪れとともにまた北の国へと水鳥は帰っていきます。毛利さんを初め、野鳥を愛してやまない人たちの熱い、優しいまなざしに見送られて。

(エコシティ志木通信第 1999年2月)

 

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