柳瀬川の河童さまのプロフィール

生まれ=柳瀬川(らしい)
年齢=不明
そだち=柳瀬川(らしい)
現住所=柳瀬川あたりのとんでもないところ(らしい)
好きな物=きゅうり いたずら お宝・・・ (らしい)

柳瀬川の河童さま
△柳瀬川の河童さま(彫り人→彫刻家の内田栄信さん)
最近「流(りゅう)ちゃん」という名前がついたらしいです

<ひとこと>
ボクは柳瀬川の河童でし
「志木まるごと博物館・河童のつづら」は、おもしろそうなのでボクが名誉館長になってあげまし
以後よろしに
(柳瀬川の河童さまよりの伝聞‥らしい)

 

■柳瀬川には二つの河童伝説が残っています。1つは所沢市久米の持明院に伝わるもので、和尚に差し出した「河童の詫び証文」。もう1つは志木市柏町の宝幢寺(ほうどうじ)にかかわるもので、河童が和尚に助けられた話。(河童のつづらの名誉館長は、このときの河童、もしくはその子孫と思われる‥らしい)
■宝幢寺の話は文化6年(1809)刊行の『寓意草(ぐういそう)』に収録されたあと、大正3年(1914)に日本民俗学の創始者柳田国男によって『山島民譚集(さんとうみんたんしゅう)』に紹介されています。
■宝幢寺周辺の檀家で組織されている「中野大門会」では、この河童の伝説を永久に残そうと、河童の石像を造り境内に安置しています。
(参考:『しきふるさと史話』志木市教育委員会1994年発行)

宝幢寺の河童
↑宝幢寺のかっぱ

 

伝説・和尚に助けられた河童

 むかし、柳瀬川(やなせがわ)にすむ河童が馬や人間をおそうことがよくあった。あるとき、15、6歳になる寺の小僧が馬を水あびさせようと、馬にまたがって川の中に乗り入れた。ところが、馬が急におどろいて川から飛び出したため、小僧は川の近くの田んぼの中にふり落とされてしまった。小僧は田んぼからはい上がると、馬のあとを追いかけて、寺の馬小屋に着くと、馬が異常に興奮しており、不振に思って馬のまわりを見ると、10歳くらいの子どものような格好をしたものがいた。

 小僧の手にからんできたのを隅の方に連れて行って捕まえてみると、それは河童だった。

 馬にかなり踏まれて弱っている河童を馬小屋の外に引きずり出したところ、近所の人たちも集まってきて、「柳瀬川で悪さをしているのはこいつだろう」「焼き殺せ」といって、大勢で積み上げた薪(まき)に火をつけはじめた。
 河童は自分が焼き殺されることを知って涙を流し、手をあわせてまわりの人たちに許しを乞(こ)うた。

 騒ぎを聞きつけて庫裡(くり)から出てきた寺の和尚は、このようすを見て河童をふびんに思い、人々に命乞いをしたり、弟子にしてやろうと衣を河童の体にかけてやった。
 そして、「今後はぜったいに人や馬に危害を加えてはいけないよ」というと、河童は今までの自分の行いを悔い、地面にひれ伏して泣いた。
 これを見た人々は河童をかわいそうに思い、川のほとりまで連れて行って川にはなしてやると、河童は泣きながら水の中に帰っていった。

 その翌朝、命を助けてもらったお礼のつもりか、和尚の寝ているまくらもとに、鮒(ふな)が2匹置いてあった。
 また、この事件があってから、柳瀬川で人や馬が行方不明になることがなくなった。

『しきふるさと史話』神山健吉氏記述より

 

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